Pap-Param and Posintan & Ao@tu / あげはちょん日記

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あげはちょん日記 目次




 
・ [003] 第20回生野民族文化祭 /2002.10.27





 第20回生野民族文化祭
最後の生野民族文化祭。
プンムル隊に参加させてもらいました。


 「マダン劇」 伴奏チームによる 「告祀(コサ)」 伴奏 (部分)


大プンムル
総勢70名によるプンムル


若いもんに混じったおっさん
ちょっと見づらいか(^^;



マダン劇
『セットンノリ』
「夢」の話、「希望」の話


炎の中に焼べられていく20年の歩み。
趣意文が第1回のものから順番に天へ送られる。


生野民族文化祭旗もまた、同じく天へ。


告祀舞(コサチュム)



第20回生野民族文化祭趣意文

この猪飼野の地に朝鮮のまつりがひとつあっても良いのでは、という想いで始まったわたしたちのまつりも20年目を迎えた。この間、どれだけ多くの人がこのまつりを通じて朝鮮人である自分と向き合い、巣立っていったことだろう。そして、どれだけ多くの人がわたしたちのマダンに訪れ、気持ちを共有し、惜しみない協力・支援をしてくれたことだろう。

朝鮮人である自分自身の心の中を、生きているこの社会をありのまま見つめたい。悔しいことも、わだかまりも…。ウリムナにふれ、こみあげてくる安心にも似たような喜び。多くの仲間に出会いウリナラのことを知り、ウリムナを通じて表現できる喜び。それは、魂をふるわせる。そして、魂をふるわせる想いを、このまつりをつくってきた人と共に感 じあえたとき、何より大切なものを手に入れたと心から思える。

生野民族文化祭だから、生野民族文化祭でしかできないこと。あらゆる闇を解き放つように、ひとりひとりが光り輝く。今年もまた、一人でも多くの人に出会い、想いをあつめ、このまつりをつくりたい。

ひとつになって育てよう 民族の文化を!
こころを!

2002年 7月 1日
第20回生野民族文化祭実行委員会



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第1回ポスター


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第20回ポスター

↑当日は、第1回文化祭からのポスター、パンフレットも展示されました。このページでは第1回と第20回のポスターをアップします。
(他は、きっと他の方が web 作成されるでしょうし (^^; )


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当日プログラム
(配布パンフより)


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マダン劇
(配布パンフより)

主 催生野民族文化祭実行委員会
講 師生野民族文化祭実行委員会
日 時半年前から準備。参加したプンムルの場合、2ヶ月前より毎週日曜日練習。
本番は2002年10月27日
内 容プンムル、ノリ大会、ノレチャラン、マダン劇、出店など
場 所生野区大阪市立勝山中学校
参加費無料
その他『ひとつになって育てよう 民族の文化を こころを』


今回第20回目の開催をもって、 「生野民族文化祭」 は一旦その旗を下ろす。20年間におよんで開催してきた祭をどう締めくくるのか、2年前から主催者たちは、その「ひとつの区切り」をどう表現するかで試行錯誤してきたそうです。

20年前に第1回目が開催された生野民族文化祭は、在日韓国、在日朝鮮人による、自らを主体にした「まつり」のムーブメント火付け役でありました。

第1回開催以降、その火種は各地へ飛び、地域によっては、京都 「東九条マダン」 のように、地域日本人住民と在日朝鮮人が一緒になって、盛り上げていこうとする祭も出てきました。東九条マダンも回数を数え、第10回が開催されたと聞きます。各地域の特色を出した祭が開催されていく中、生野民族文化祭も、より、生野地域密着型の祭へと、その特色を強めていきました。近年は各地域マダンにも見られることですが、回数を重ね、主体の世代交代が進むなかで、参加者数の伸び悩みといった状況も出てきました。

そういった状況を背景にし、祭りの在り方そのものを見つめ直し、新たな出発を夢見るために、一旦旗を下ろしたと言います。

祭の中で、ちゅんなみ実行委員長が述べてました。皆の「夢」が集まり、人が集まる中で、新たな何かが、新たに始まるかもしれない。その時に、また会いましょう、と。

という訳で、いったん旗を下ろす訳ですが、それは、次の何かを実現させるための準備期間と考えたほうが良さそうです。

・─・─・─・─・─・─・─・─・─・─・─・

僕自身は、今回初めて、生野民族文化祭のプンムルに参加しました。今までは、祭当日に観劇しにいく一参加者だったのですが、「今回が最後だ」と言うことを、実行委員をしている友人たちから聞くにつれ、少しでも、現場の雰囲気を感じたいという欲求が強くなりました。

何かを一旦やめる、旗を下ろす決意をするということは、大変に勇気がいる事だと思います。心が揺り動かされます。決意をした方々の作る雰囲気を、少しでも身近で感じたかったというのが参加の一番の動機です。数ヶ月前から毎週日曜に行われる、プンムルの練習に顔を出すようになりました。僕はプンムルしか参加しておりませんが、他の出演者たちは、もっと前の段階から、劇や舞踊の練習に勤しんでおったそうです。

実行委員の面々もそうだし、出演者たちも、とりあえず”若い”んです(^^; 僕と同じ干支の一回り違う方々がバリバリ頑張っている姿を見ることになるのですが、なんというか、「いつの間に僕はそんなに歳を取ったのだ??」と妙な気分にもなりました。また、ちゅんなみ実行委員長が、僕と同い歳であったことも、勝手なシンパシを感じる要因になりました。嬉しいよ。かっこいい同世代が頑張っているのを間近で観れて、尚かつ、少しばかりその頑張りを共有できるとなると、、。

・─・─・─・─・─・─・─・─・─・─・─・

当日朝、生野地域をパレードしました。白パジに身を包んでチャング抱えて生野の町をパレードするのも、学生時代以来。10年ぶり。見知って変わらぬ景色もありますし、見知らぬハルモニの姿も見えます。若い世代が家の前をパレードする姿は、彼女、彼らにどう映るのでしょうか。

大勢のプンムルは楽しかった。僕は、あいかわらず「大げさ」な動きになっていたようで、反省することしきりです(^^; あるメーリングリストで知り合った方が、当日僕を見かけて、

「背が高くて、堂々とした体格。めがねをかけていて坊主頭。その風貌は、出来の悪い浪人生(3浪以上)を思わせるものがあった。そのチャンゴは、そこそこうまいのだけれど、その動作がとてもオーバーアクションで、ひょっとかすると、えらく色っぽくもあった。」

と表現してくれました。それって、誉めすぎやん
(´∀`)σ)Д^*)ノ

昨年の生野民族文化祭は「一日マダン」という趣旨でありましたが、今年は、非常にオーソドックスで、基本に還った構成のように感じました。晴れ間が射したり曇ったりと、忙しく移ろう天気は、僕の中の様々な思いが溢れるのを後押しするものでした。

当日晩、出演者関係者の打ち上げがありました。嬉しさの余り笑いが止まらず、口元が変な形になりながらも、どうしても涙がこぼれるのを押さえることができない、、、あの何とも言えない気持ちを久しぶりに味わいました。



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作成:青ひょん 若葉