■青通番外編 〜記事

 
『ハンディをたずさえて』若者と政(まつりごと)21世紀への選択8/朝日新聞京都版(1995.06.29)

会社訪問のため、大学のキャンパスにスーツ姿の学生が目立ってきた6月中旬。京都工芸繊維大学建築コース6年、文青ひょん(※紙面では「ひょん=火玄」)=ムン・チョンヒョン=(24)は、ゼミの教授を訪ねた。「色々考えましたが就職します」。大学院に進学するかどうか、悩んだ末の結論だった。在日韓国人だからか、会社案内のパンフレットはほとんど送られてこない。単位不足で2年も留年した。韓国で反政府運動をしていた親類がいることも会社にばれるかもしれない。ハンディは数え上げたらきりがない。それでも「現場が好き。きっと僕の技術を評価してくれる会社があるはず」と期待する。


□初めて知る祖国に喜ぴ

大阪市内で生まれ育った3世。在日韓国・朝鮮人の戦後史を研究する父親の方針で、日本名は名乗ったことがない。これまでいじめられたこともなく、自分が在日韓国人だと意識したこともなかった。大学に進学して初めて祖国のことを知りたいと思い、下宿先の京都市左京区のYMCA寮近くにある在日韓国学生同盟の事務所に通い始めた。京都の在日韓国人の大学生十数人で作る団体だ。週に2、3回、授業が終わった後に集まり、朝鮮半島の歴史や政治情勢、ハングルの勉強を続けた。時には夜遅くまで、薄暗い蛍光灯の下で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との統一間題や従軍慰安婦など日本の戦後補償の問題で議論を続けた。「それまで知らなかった祖国のことを先吉から教わりうれしかった」。四年生になると、在日韓国・朝鮮人の参政権問題を勉強したり、南北統一を訴えるビラなどを印刷して、街頭で配ったり、支援してくれる市民団体の集会に出たりするなど政治活動にものめりこんでいった。


□何も知らぬ自分に悩む

しかし一方で、後輩の大学生に韓国の歴史や政治情勢を教える立場になって、疑問も膨らんできた。「教えていることはすべて、先童や書物の受け売りじやないか。日本で生まれ育った自分に韓国のことが分かるはずがない」。そう思うと自己嫌悪が膨らんできた。そのころ、気になる中傷が、青ひょんの耳に入ってきた。韓国で反政府運動をしていた青ひょんの親類のことを取り上げ、「文の家族のせいで、在日韓国人が日本で弾圧を受けた」というのだ。だれが言い触らしたのか分からない。「20年近くも前のことをなぜ今ごろ…」。驚くとともに、在日韓国人社会がいやで仕方なくなった。5年生になるころには、既成の民族運動への反発すら覚えるようになった。


□主張反映する党がない

日本に生まれ育ちながら、在日、韓国・朝鮮人に参政権がないのはおかしいと思う。しかし、「参政権を得ても、たぶん投票には行かないと思う。いまの政党で、在日韓国人の主張を反映してくれる政党がないから」。青ひょんは、学生同盟を辞めてから、冷静に民族のことを考えられるようになったという。芸能やスポーツのことしか話せない日本人学生。それに比ベ「自分には核がある」と感じる。在日であるが故に、日々「生きるとは」「政治とは」を問うきっかけがあるように思う。「いま自分が在日韓国人だということが楽しい。知らない人と出会っても、語れることがいっぱいあります一ここ数年趣味にしているパソコン通信でも、在日韓国人だと名乗っている。オウム真理教事件がピークを迎えた5月下旬。パソコン通信の仲間の間で、オウム真理教が影響を受けたのではと言われるSFアニメのことが話題になった。「2002年、近未来の人類を支配する均一のコピー社会」。青ひょんは在日韓国人の立場から感想をキーボードに打った。《国家と個人の関係を考える時、「変種」を受容できないシステムってのは、ヤですわ》(敬称略)おわり


#朝日京都版特集記事で、京都辺りに生活する8人の若者にとっての「政(まつりごと)」にアプローチするもの。僕は8人目として取材を受けた。大学のゼミの先生(^^;、友達連中が記事を新聞上で目にしたりして少し困った。大嘘は無いものの、「青ひょんはそんなにストイックじゃない! これやったらまるで二枚目な人じゃないか(^^;!」という感想が一番多かったように思う。その辺は新たに感想を聞きたいもの。ちなみに2年留年したのは、語学がアレだったから、、、しかも2回生からの(^^; (1997.12)

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作成:青ひょん